その「地元愛」が逆効果!?観光客にスルーされる町の“ある特徴”
地元愛が、観光客を遠ざける町がある。
それは誤解でも皮肉でもなく、私が見てきた現実だ。
ある町では、
地元を愛する人が懸命にSNSを更新し、歴史を語り、文化を誇っていた。
でもーー観光客はなぜか減っていた。
投稿の反応はある。
「いいね」もつく。でも予約は埋まらない。
「おかしいな」
ずっとそう思っていた。
ある日、ひと組のカップルに話しかけてみた。
観光客の本音に、私は震えた
私「なぜこちらに来たんですか?」
観光客「SNSで見て、雰囲気が良さそうだったから来ました」
観光客「でも、来てみたら“地元の人のための町”って感じで…居場所がない気がしたんです」
――その言葉に、背筋が凍った。
どれほど丁寧に投稿をつくっても、
どれほど熱い思いで歴史を語っても、
それが“外の人”には排他的に映ることがある。
それは本人には、なかなか気づけない。
私も、ずっとわからなかった。
伝わらない「誇り」は、ただの独り言になる
私たちがよくやってしまう表現には、こういったものがある:
- 「この神社は600年の歴史があります」
- 「地元の人に愛され続けてきた場所です」
しかし、観光客にとってそれらは
“自分ごと”になりにくい。
なぜなら、
彼らには「前提となる共感」がないからだ。
観光客の頭の中にあるのは、こんな疑問
✅ そこへ行くと、何ができるの?
✅ 自分にとって、どんな体験になるの?
✅ 誰かとシェアしたくなる“ストーリー”はある?
この問いに答えられない情報発信は、どれだけ熱がこもっていても心に届かない。
地元愛が、観光客との距離を生む パラドックス
愛が深いほど、「地元の視点」に偏ってしまう。
それは自然なこと。でも、そのままだと危うい。
自分たちの常識、自分たちのルール、自分たちの語り方…。
その“内輪感”が、無意識に外の人を排除してしまう。
観光客は誰も文句を言わない。
でも静かに離れていく――その方が、よほど怖い。
SNSに「泊まりたい気持ち」があるか?
私が見た例。
地元への誇りをSNSで語り続けるある宿。
文章は素晴らしかった。
けれど、
“宿泊者の視点”で撮られた写真が、一枚もなかった。
✔ 客室の居心地感
✔ 朝焼けの見える窓辺
✔ その土地の空気を感じる瞬間
そうした体験の共有がなければ、
「泊まりたい」は生まれない。
「この一行、誰がシェアしたくなる?」
SNS時代において、文章の価値はシェアされるかどうかにもある。
観光客が持ち帰って誰かに伝えたくなるような「一行」があるか?
それが、あなたの投稿に宿っているかどうか。
たとえばこんな風に:
「秩父の夕暮れは、音まで美しい」
「何も起きない時間が、こんなに贅沢だなんて」
「この味噌汁を飲んだら、旅が“帰省”になった」
これが、「観光の言葉」だ。
地元の魅力を“翻訳”するだけでいい
あなたの町の良さを捨てる必要なんて、ない。
必要なのは、ほんの少しだけ目線を変えること。
- 「観光客が体験できること」にフォーカスする
- 自分ではなく、相手を主語にして語る
- 外の人が“共感できる物語”に翻訳する
それだけで、
今まで見過ごされてきた魅力が輝き出す。
最後に、そっと投げかけたい
「あなたの町の魅力、誰の目線で発信していますか?」
それをたった今、少しだけ見直すだけで
この先の観光の未来は大きく変わっていく。
地元愛は、正しく伝えれば最強の武器になる。
観光客の感性を通してこそ、その価値は世界に届く。
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。
この記事へのコメントはありません。