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■オーストラリア編

 

 

登山用の大きなリュックと寝袋を持って、

私はシドニーの下に位置するゴールバンという町の牧場に向かった。

 

シドニーから電車でゴールバンにたどり着くと

牧場のオーナーであるマイクが迎えにきてくれた。

 

そこから1時間ほど山へ向かったところがファームだった。

 

そこは、きれい好きの日本人には、とても住みにくい環境だった。

飲み水は雨水(レインウォーター)、風呂は雨水が溜まったら入れるので

運が良ければ週一。寝るところは、ほったて小屋の2段ベットに寝袋で寝る。

 

最初はきつかった。

英語がたいして出来ないのに、英語で生活し仕事もしなければならない。

 

仕事といえば、

羊の牧場なので、羊の世話と月に一度シドニーから野外活動の一環として子供たちがやってくるので

そのためのキャンプ場づくりと当日の接待。

 

羊の世話は、人よりワンちゃんが頑張ってくれる。

口笛ひとつで、2匹のワンちゃんが、羊を誘導し、そして小屋に連れていってくれる。

そこで、私のメインの仕事は、キャンプ場に日本庭園を造ることになった。

 

庭園デザインをし、水を流し池にする。出島をつくり、上から見ると日本列島に見えるようにした。

土を掘り、水路を作り、そして石を運び、土留めをしていった。

筋肉痛の毎日だった。

その結果、完成後には、オーナーのマイクをはじめ、月一でくるシドニーの子供たちも喜んでくれた。

 

定期的に羊の世話もした。

雨が少ないオーストラリアでは、羊が弱ってくる。

そして、群れに付いていけない弱った羊がいると、

その羊が今夜の晩飯になるのだ。

 

そのままにしておいても、いずれは死んでしまう。

だから、いただくことで供養するとマイクは言う。

 

また、マイクは言う。

「誰だって動物を殺すのは嫌だ。

でも、人は殺生して生かされている。

都会のヤツらは、殺すこともしないで、食べ物として肉を食べている。

本当は、命をいただいているのだ。だから感謝がうまれる。

殺生しないで、食べているヤツは食べる資格がない!」

 

たしかに、自然界は、殺生して生命をいただく弱肉強食だ。

だからこそ、必要な分だけ殺生し、いただく。

人間だって、地球の一部であり、この自然界の一部である。

 

便利な社会になり、自然界の摂理から離れていった結果、

必要以上の殺生を繰り返す。また生き物や自然への感謝が少なくなってきている。

まるで、人間だけが暮らしやすい地球になっているのではないだろうか?

 

牧場で働き、4ヶ月が過ぎようとしていた。

その中でマイクにたくさんのことを教えてもらった。

 

よく言っていたのが、

「便利は危険だ。」ということだった。

「今、お腹が空けば、スーパーやコンビニですぐに食べ物が手に入り、すぐにお腹を満たすことができる。

寒ければ、ボタン1つでエアコンなどで暖が取れる。

便利のせいで、人が退化し、自然からどんどん離れていっている。

寒ければ、火をつけなければならない。そのためには、薪をつくらなければならない。

薪をつくるためには、木を切らなければならない。

どの木を切れば、森が活性化するかを考えて切る。

そうやって、自然と共存共栄できるのだ。

便利は危険だ。人間を変えてしまう。」

 

マイクが話してくれたあの頃から現代まで

便利の進化は加速しつづけ、人はどんどん自然から離れ、

感謝から離れ、社会というものを変えていってしまった。

 

便利が当たり前の社会では、感謝は生まれにくい。

なぜなら、当たり前のことなのだから。

 

 

4ヶ月が過ぎた頃、俺は、ヒッチハイクにてオーストラリアを一周することに決めていた。

もっと多くの人に触れ、「大切なもの」を探したいと思ったからだ。

 

牧場を出る日に、マイクが駅まで送ってくれた。

その車内で、マイクから励ましの言葉をもらった。

 

それは、「バカであれ!」だった。

「仕事バカでもいい。デザインバカでもいい。

何でもいいから何かに熱中できるバカであれ。

そうすれば、お前はスペシャリストになれる。

お前は、この牧場で人が出来ないことをやり遂げてきた。

それはお前の誇りだ。自信を持て。

お前ならできる。

誰かのために一生懸命になれるバカになれ!」

 

涙が止まらなかった・・・。

 

この4ヶ月いろいろなことを教えてくれた。

まだまだ一緒にいたかった。

 

それでも、俺は新たな旅に出発した。

 

その後、オーストラリアを東海岸から北上し、ケアンズへ。

そして、内陸に入り、エアーズロックへ。さらに北上し、

マタランカを通り、ダーウィンへ。

そこからゆっくり西海岸を下った。

たくさんの人に会い、たくさんの自然にも触れた。

ヒッチハイクでは、車をつかまえるのに6時間以上かかることも

しばしばあった。

またヒッチハイクはどこでもできる訳ではない。

町の出口まで出ると乗せてもらう確率が高くなるのだ。

なぜなら、町の出口を通る車は、すべて隣町へは行くのだから。

オーストラリアでは、隣町への距離は東京から大阪間の距離はある。

 

だから、朝5時には起き、町の出口まで20kgあるリュックを背負って歩く。

そこまで1時間ぐらい。

そこからヒッチハイクの始まりなのだ。

 

その後、途中でバックパッカーやユースホステルで掃除のバイトをしながら、

西海岸を下り、南海岸を行き、アデレート、メルボルン、そしてシドニーに帰ってきた。

 

長い長い道のりだった。

まるで修行のようだった。

ヒッチハイクできない日は野宿をし、1日何十キロも歩く日もあった。

 

たくさんの人に触れ、真心に触れることができた。

自分の弱さを知り、強さも知ることができた。

 

そして、日本がとっても恵まれている国だということが分かった。

日本に帰って、バリバリ仕事がしたいと思った。

そして、1年ぶりに日本へ帰る。

 

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